数日前から荒れ模様だった天気も、今日は久しぶりに青空が出る爽やかな秋空だったので図書館へ行きました。就職のための学内面接や卒論のテーマ探しなどが既に迫ってきているので、資料探しに行こうかなと。
文庫本小説のコーナーをちょろっと見て、その後福祉関連の棚へ。意外と人が多かったので資料探すのが難しく、自分の興味のある児童福祉関連の棚の前に一人の女性が張り込んでいるので隣の棚から調べていくことにしました。隣の棚は教育関連で、福祉とどこが関係あるのかと心で思いつつも気になったタイトルの本をペラペラ流し読むことに。不登校の書籍ばかりで、「これを卒論のテーマにすると相当深みにはまるだろうな」と考えていました。と、真っ黒なカバーの本が目に飛び込んできたので手にとってみるとタイトルには『遺書』の文字。内容はいじめによって自殺した人の遺書と、遺族の話でした。中をめくっていきますと、まず目に入ってきたのは遺書の内容。さらに読み進めていくと、遺書を写した写真が見開きになってバックに使われている文章、生々しい家族の証言、自殺までの経緯等々相当重い内容でした。近くにある椅子に座ってじっくり読み進めていく内に、自分の中から何かが込み上げてきました。「こんな理不尽なことがあって良いのか」と。その本を含めて自分が手にとった本全てを借りました。(児童福祉関連の棚も見てみましたが、障害児に関するものと児童虐待に関するものしかなかったため諦めました。児童虐待に関しては前調べた時に「相当深い問題だ」とまざまざと知らされたためです。)

暴力とは違い、心の暴力なんて酷いものです。加害者達にとっては“遊び”としか感じないのかも知れませんが、被害者の立場になると苦痛以外の何物でもありません。気に入らないからいじめる・無視する。しかも集団で。私も高校時代の部活にてそれと似たようなことをされた経験がありますが、相当辛いですよ。能天気な私は自殺という考えにまで至りませんでしたが、自分の存在を疑い、自殺という最悪の事態にまで苦しめられるのですから。誰かに言えば良い、なんて簡単に言いますが言えませんよ?家族にも、友達にも、先生にも。
心を攻めるいじめは本当に酷いです。死にまで追い込むような状況を作る自体、罪に問われてもおかしくないですよ。奈良県ではいじめによって抑うつ状態になったとして警察に被害届が出されたと言います。それ程深刻なのです。

学校だけでなく職場でも同じようなこともありますけれど、どちらにしても同じです。悩んでいる人がこの世からいなくなるようただ願うしかありません。願うだけではなく、一人一人の気持ちから変えていく必要もあります。「あの人は嫌かも知れないけれど、なにか良い点はあるはずだ」と思えば考え方も変わってくるかも知れません。