憂鬱なニュース。

24歳男性が自殺の様子をネット上に生放送。自殺の動機なども大型掲示板に書いていたらしく、それに対して思いとどまるよう説得したり煽ったりするコメントがあったそうな。
これについて母が「死ぬんだったら迷惑をかけるな」「『死ぬ』と口に出すのが女々しい」とバッサリ。けれど私はそう思わない。私もその言葉を何回か口に出したことがあるからだ。

周囲に悩みを話せる相手がいない、またはなんとか自分で解決しよう・他人の手を借りたくないという人が今の世の中は多い気がする。「悩んでいることがあったら何でも言え」と言ってくれる人もいるけれど、それでも言えることと言えないことがあるし、それは人によって様々だ。悩みを抱えることは今も昔も関係ないが、社会環境は大きく変わったことが関係しているのかも知れない。未来がまだある程度見える世の中と、全く先の見えない世の中では悩みの質も量も全然違う。
今の社会は周りから孤立する人が増えていると思う。誰にも話せず、一人で悩んで苦しんで、追い詰めるだけ追い詰められて最期の踏み越えてはいけないものを超えてしまう。超えるか超えないかで真剣に悩んでいる人も大勢いると思う。少し時間が経過してそのラインから離れても、またラインに逆戻りすることも多々ある。自ら人から離れていく人もいるだろうけれど、多くは人と関われない生活になっているのだと思う。ライフスタイルや働き方(特に休日)の変化が要因に考えられる。親しい人と会うのに休みが合わなければ自然と関係も薄れていくのだから。
誰だって嫌になったから死ぬのではない。悩んで苦しんでもがいて、その結果自ら死を選ぶのだ。後々のことを考えて希望がないことが、踏み止まれない一因であることは違いない。特に社会というものが希薄になり、自分という存在がいなくなっても周囲には大して問題にならない(=自分が死んでも悲しんでくれる人がいない)と思えてしまうことが大問題なのだ。

根本的に解決する方法なんてない。対策を打っても実際に数字になって現れるまで時間がかかるだろう。だが、昨今自殺する若年者が増えているという事例は考えなくてはならない兆候なのではないか。今この社会を動かしている人物全員が悪いということではないが、少し年配の方が多すぎるのではないかと思う。豊富な人生経験は確かに必要なことかも知れないが、若者の意見は全く反映されておらず、この先に対して不安しか持てない世の中になりつつある。最近こんな状況でよく若者が暴動を起こさないなと思ってしまうことが多々あるし、行政・政府の無策ぶりに憤りを感じることもある。若者いじめはそろそろやめていただきたい(雇用・年金・教育問題その他諸々)。

ネット上の生中継は自分の生きた証を作りたかったと捉えている。ネット上に流れれば記録として残るだろうし、こういうことで社会が見つめなおす契機になるかも知れないから。一種のショーとして見ていた人は面白半分に煽っていたのだろうが、今から本当に死ぬと思った人は見ず知らずの人間でありながら本気で止めるよう努力したのだろう。私は後者の人がいることに安堵すると共に、自ら命を絶つような人が限りなくゼロになるような社会になるように祈りたい。